応用倫理学第三回出席課題

第一問

ルイがザブロックを殺した場合、ルイを応用倫理学的に擁護することはできない。

 シンガーの言うように、自己意識を持つ者をパーソンとして扱うと定義し、人間以外にも類人猿やイルカ、クジラなど知性や意識を持つと思われる生物もパーソンとするというシンガー流パーソン論を認める立場にたつとする。この立場からは、100匹のクジラを殺すことは100匹、いや100人のパーソンを殺すことであり、それを防ぐためにザブロックという1人のパーソンを殺すことは、緊急避難の法理と、100人死ぬよりも1人死ぬ方がより善であるという功利主義の立場から正当化しうる。

 ここでは、緊急避難の法理と、功利主義には、異論がないため倫理的に正しいものとして認めることとする。しかし、シンガー流のパーソン論には倫理的に問題があるため認められない。すなわち、ルイの行動を応用倫理学的に正しいと認めることはできない。以下、シンガー流パーソン論批判の論拠を述べる。

 論点となるのは、果たしてクジラに人権を認めるのか否かである。シンガーは、「人間であるから人格があり、人権を認める」というのは、人間とそれ以外の種を差別する人間中心主義であると主張し、人間以外にも人格を認めようとする。

 一見もっともらしい論理だが、重大な問題がある。第一に、人間以外の動物、たとえばクジラに人格および人権を認めたとして、それではそのクジラの意見はどのように知るのだろうか。当然のことだがクジラはしゃべることができない。そのクジラの意見を代弁するのは、結局のところ人間である。アニメにおいても、大クジラがザブロックに対して「クジラの生存権を認めよ」と主張するようなシーンはなかった。クジラの気持ちを代弁していたのは(本当にそれが代弁なのかを確かめるすべはないが)ルイという人間なのだ。

 とはいえ、この反論には再反論が予想される。意見を知ることができないからといってパーソンと認めないならば、大事故などで脳幹を損傷し、命は取り留めたものの全身麻痺で顔の筋肉しか動かせず、しゃべることのできなくなった人間はどう扱うのか。実際に2006/12/12のNHKの朝放送されていたドキュメントで、このような状況となった女性が紹介されていた。現在は母親が24時間つきっきりで介護し、母親が意思の疎通を助けることで、フィットネスクラブの店長として活躍しているという。それでも、彼女は一人では意思の疎通ができず、そのためパーソンとしては認められず、極端なことを言えば生存権もないので殺してもかまわないというのか。そんなことはないだろう。よって、第一の問題だけではパーソン論批判には不十分である。そこで、第二の問題点を指摘したい。

 第二の問題点は、クジラに人権を認めるとして、権利に付随する義務はどうするのかである。クジラに義務を課すというのだろうか。それはナンセンスなことである。さらに、人権をみとめたとして発生する問題もある。例えばクジラが船に衝突し、乗組員が死傷したとして、クジラには裁判を受ける権利があるからといってクジラを裁判にかけるのであろうか。これもまたナンセンスなことである。

 最後に、最大の問題点はいわゆる「線引き問題」である。クジラやイルカ、類人猿をパーソンとして認めるとして、それではなぜ牛や豚は、タコやイカはパーソンではないのだろう。シンガーはこれに対する答えとして、「知性と意識を持っているかが判断基準である」と主張した。だが、この基準は明らかに人間を中心としたものである。基準は飛べるか飛べないか、だとか、泳げるか泳げないか、といったものでもかまわないはずだ。知性と意識を基準としたのは、人間に知性と意識があるからという理由しかなく、結局シンガーの批判したような人間中心主義による恣意的な基準にすぎないのだ。パーソン論はすべてこの問題を抱えている。すなわち、どこまでパーソンでどこからパーソンではないのかという線引き問題である。この線を引くのが現実的な問題として人間である以上、人間中心の恣意性から逃れることはできない。いや、線引きをせずすべての生命に人権を認めるとしても、他の生命体の生存権を保護するためには人間の食べるものがなくなってしまうため、現実的には不可能である。

 以上の三点が、パーソン論を批判する根拠である。よって、パーソン論は倫理学的に問題があり、したがってルイを擁護することもできない。

第二問

チャーチルがヒトラーを殺したとしても、チャーチルを応用倫理学的に擁護することができる。

 チャーチルがヒトラーを殺す場合であるが、これはパーソン論がなくても功利主義と緊急避難の法理を適応すれば正当化が可能である。なぜといって、ザブロックが殺すのはパーソン論を認めない場合人権の存在しない、したがって生存権を認められないクジラであるのに対し、ヒトラーが殺すのは人間であるため当然人格および人権、すなわち生存権の存在するユダヤ人やジプシーだからである。そのため、ヒトラーは多数のユダヤ人などを迫害し殺害するという前提があり、ヒトラーを殺すことで殺害が止まるならば、ユダヤ人などの生存権を保護するためにヒトラーを殺すことは容認される。1人殺すことで何万人ものユダヤ人が救われるならば、一人殺すことは功利主義の立場からいえば、より社会全体の快楽の総和が増大するし、ヒトラーを殺す以外に何万人ものユダヤ人の生存権を保護する方法がないのならば、緊急避難の法理からヒトラー殺害はやむをえないこととして容認されうるからだ。

第三問

さて、両問に対するあなたの結論およびそれに至る過程は首尾一貫しているだろうか。

 首尾一貫している。第一問で論じたように、今回の課題ではパーソン論を認めるか否かが重要な鍵を握っている。第一問と第二問の相違は、相手がクジラであるか、ユダヤ人である。パーソン論を認めれば、クジラもユダヤ人もパーソンとして同等であるため、大勢のユダヤ人を殺すヒトラー同様、大勢のクジラを殺すザブロックは悪となり、従って彼らを救うために悪を取り除くことは緊急避難の法理と功利主義から容認されうる。しかし、パーソン論を認めない立場からは、クジラをパーソンとしては取り扱わないため、大勢のユダヤ人を殺すヒトラーと異なり、何匹ものクジラを殺すザブロックを悪とみなすことはできない。今回の課題では、第一問で論じたようにパーソン論は認められないという見解をとるため、ルイは擁護できないが、チャーチルは擁護できるという結論に至った。結局、悪とされる存在が殺害する対象をパーソンと認めるか否かが結論を決める。単純明快な論理だと思う。

 なお、ユダヤ人がパーソンであることは議論の余地なく正と考えた。今回の課題に直接関係はないが、シンガーのスピーシズムの功績は、白人だから偉い、とかユダヤ人だから殺してもいいといったような種差別を、「人間だから人権がある、というのは人間中心主義の種差別である!」という極端な主張をすることで排斥したことにあるかもしれない。

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作成:2006-12-12